こんにちは!
昨日のニュースは新入社員の話題でもちきりでした。
取材に応じている新入社員の皆さん いい顔をしていましたね~。
いずれ娘たちも、このような日が来るのかと思うと、うれしいやら寂しいやらで複雑な気持ちになりました。
まだまだ、ずぅーと先の話ですが…
歳をとると先の事が心配になるんです(笑)
今日は、今から62年前に起きた「森永ヒ素ミルク事件」について詳しく調べてみたいと思います。
犯人についても調べてみました?
森永ヒ素ミルク事件について
森永ヒ素ミルク事件は、1953年頃から森永乳業の全国の工場で、乳製品は酸化することで凝固してしまいます。
凝固を防ぐために安定剤として、第二燐酸ソーダ Na2HPO4 を粉ミルクに添加していたそうです。
テスト段階では、純度の高い試薬を使用していましたが、販売用には安く手に入る純度が低い工業用を使用していたのだとか。
そして事件は起こりました!
徳島工場が製造をした缶入り粉ミルクの製造過程で使用された第二燐酸ソーダに、ヒ素が多量に含まれていたのです。
粉ミルクを飲んだ1万3千名もの乳児がヒ素中毒になったそうです。
この事件によって、中毒による死亡者が130人以上だったとか。
とても考えられない、悲惨な事件です…
森永ヒ素ミルク事件の犯人は?
犯人は、粉ミルクを製造していた森永ということになります!
この時代には、産業育成政策や高度経済成長が最優先される時代だったそうです。
この背景から、日本国政府も犯人の森永側に立って収束を企てたのだとか…
最終的に、被害者の運動は無念にも抑え込まれてしまったそうです。
14年後に被害者の後遺症報告が日本公衆衛生学会で発表され、事件は再び注目されることなるのです。
被害者が再集結して森永相手に裁判を起こしました。
一審では森永側が全員無罪との判決でした。
しかし、検察側が上訴して、結果的に徳島工場の元製造課長1人が実刑判決を受けました。
森永ヒ素ミルク事件の後遺症や当時の写真も!
森永ヒ素ミルク事件の被害者は現在も、
・脳性麻痺
・知的障害
・てんかん
・脳波異常
・精神疾患等
と重複障害に苦しむ被害者がいるそうです。
2014年現時点で被害者の人数は、約730名が障害症状を訴えているのだとか…
また、被害者のなかには就職差別や結婚差別を受けたりといった方もいるそうです。
当時の写真
■回収された粉ミルク缶


引用元:https://ja.wikipedia.org/
■病院に殺到する患者

引用元:https://ja.wikipedia.org/
■被害者の会

引用元:https://ja.wikipedia.org/
■悲しむ母親

引用元:https://ja.wikipedia.org/
森永の粉ミルクを子供に与えたことについて自責して精神的に追い込まれていった母親たちが多くいたといいます。
わたしも、そうだったのですが、母乳の出がよくない母親は粉ミルクに頼るしかありません…
その結果、子どもがヒ素中毒になったとしたらと考えると…とてもつらいですよね。
62年前に起きた過去の事件ですが、忘れてはいけない事件です。