テニスで戦後初の日本人プロ選手の石黒修さんが9日に死去したことが分かりました。
気になる死因や病名はなんなのでしょうか?
石黒修さんの経歴

引用元:http://www.jta-tennis.or.jp/history/tabid/283/Default.aspx
石黒修さんは長崎県出身の九州男子です。
高校は甲南高校、大学は慶応義塾大学に進学しました。
すでに高校・大学でもテニスで活躍されていて、大学卒業後は三菱電機の実業団へ入社します。
ウィンブルドンでもランキングの上位選手に勝ったという偉業の持ち主で、戦後初の日本人プロテニス選手が石黒修さんです。
テニスの功績
•全日本選手権単複各3回制覇。
•1958、60~66年 デ杯代表。
•65年 デ杯監督。
•全日本選手権単複各3回制覇。
•1958、60~66年 デ杯代表。
•65年 デ杯監督。
最近では、65歳以上の大会があると出場してプレイをされていたそうです。
石黒修さんは、生涯現役でいたいという思いが強かったそうですよ。
若い時は、かなりのイケメンだったという情報もあります。
息子さんの俳優 石黒堅さんを見ればわかりますよね!
きっと さわやかでイケメンだったのでしょうね。
石黒修さんの死因・病名は?
現在のところ、石黒修さんの死因については確かな情報が分かっていません。
訃報ニュースの場合は、だいたい死因・病名が伝えられるのですが、石黒修さんの場合ありませんでした。
病気のため東京都内の病院で死去されたということだけが分かっています。
石黒修さんは80歳とのことですので、体力がなく風邪から肺炎を発症してしまう可能性もあります。
時間がたてば詳しい情報の発表があるかもしれません。
現在のテニス界は、錦織圭選手・綿貫陽介選手とかなりの盛り上がりをみせてくれています。
次の世代にしっかりバトンを渡したといえるのではないでしょうか。